「中学ん時にさ、準サンのバカ笑いはじめて見て、オレ本気でびびったなァ」 着替え終わった利央を「オレより先に帰んな」と待たせていた時だった。 ぶつくさ言いつつも待ってくれるのはいつものことで、今日に限っては用事がある和サンは先に帰ってしまっている。手持ち無沙汰なせいか机に突っ伏していたのだが、急にむくりと顔を上げると、ねぇ覚えてる?と何か期待に満ちた目でオレを見つめてきた。 何を、と面倒くさいがいちよ社交辞令で返事した。そうしたら、いきなり古い話題を持ち出された訳だ。 覚えてんなよおまえ、と思わず突っかかりかけるのをぐっと堪えて、着替えに専念する。 利央はと言えばオレをからかおうとしたと言うよりも、単純に懐かしさが勝っているようで、あの頃のことを面白がって、次から次へと口にし始めた。 オレとしては正直、利央が話題にしているその当時のことをあまり振り返りたいとは思わない。 今思い出してみても、顔から火が出そうになるようなことばかりだ。 けれど、そんな記憶でも和サンとはバッテリーとして始動したのも、親しくなっていったのもその頃からなので、オレの中で大事な思い出には違いないのだ。ただ思い出すだけで、床をのたうち回りたくなるような出来事もあるし、あの頃の自分に説教してやりたくもなったりする。何より、それを利央のネタにされてからかわれるのだけは心底ゴメンだ。 「行くぞ、帰るぞ、置いて行くからな」 「あ、ひでェ〜準サン!自分が思い出したくないからってさー」 外はもう薄暗く、オレは部室との温度差に一度体を小さく震わせて歩き始めた。 後ろから鍵を閉める音と、待ってって!と言う声と一緒に駆け足が聞こえてくる。仕方なく速度を緩めて、止まらない程度に歩く。立ち止まることは利央を甘やかすことに繋がると思うのでしない。 そう言えば、あの頃は一人で帰ることもよくあったなァと思い出す。あの頃のオレはこうやって誰かと一緒に待って帰るだとか、そういうことを面倒くさいと考えるところのある人間だった。 それが今は当たり前になっているから不思議なものだ。 どこか周りと馴れ合うことを嫌い、馴染めずにいたオレに手を差し伸べてくれたのは、和サンであり、いつもちょろちょろとくっついてきたコイツのおかげなのだ。キッカケを与えてくれたのも。 あの頃、まだオレたちは中学生だ。初等部上がりの連中が多い野球部内で、オレはどこかまだ気を張っていた。孤立していた訳ではないが、どこかまだ馴れ合おうとしても抵抗があって、うまくいかなかった。試合に影響が出るようなものではなく、それは微々たる程度のことだったが、かと言って無視できるものでもない。いつか大きなミスに繋がりかねないという危惧もあった。 それを気にかけてくれる先輩もいたけれど、ただ単にオレが周りに対して無愛想だったと言ってしまえばそれまでの話だ。そんな環境な上、なったばかりのエースとしての重圧もあった。何しろチームメイトから信頼されているかと言う意味で、オレ自身が自信を持てずにいたからだ。 そんなオレに、あの日の二人が変わるキッカケを与えてくれたのだ。 あの日もいつもと同じように放課後、部員それぞれがポジションで練習していた。利央もそんな中、一年部員の一人としてキビキビとボール拾いや手伝いをこなしていた。だが、足元に飛んできたボールを拾おうとした瞬間、足が絡まったのか派手にズッコけたのだ。 「……ぎゃっ!」 「うわ、利央がこけやがった!」 「阿呆丸出しだな、バーカ」 「うっせ、おまえら見てんじゃねェよ!」 周りにいた部員がそれを目にして笑っているのがわかった。オレも思わずグローブで隠して笑いを堪えようとしたが、無理だった。吹き出してしまったが最後、そのズッコケっぷりを目撃してしまったせいで、何回もその映像を脳内再生してしまい、お腹を抱えて爆笑することになったのだ。自分でもわかっているが、一度笑い出したらオレはなかなかすぐに止められない。 まさかあの高瀬が……という周りの妙なものでも見るような目が、さらに笑いに拍車を掛けた。その頃バッテリーとしてオレと練習することの増えた和サンは、ようやく笑いを収めたオレに近づいてきて、 「おまえ、よく笑う奴だったんだなァ」 そう言って自分も嬉しそうに笑った。もっとみんなの前で笑ったり怒ったりしてみろ、と意外なことを薦めてきた和サンにオレはきょとんとして、次に姿勢を正して大きく「はいっ」と返事した。 後から聞いたことだけど、みんなはあの一件でオレに親近感を抱いたらしい。自分では思ってみなかったけど、オレはお高くとまっていると思われていた節があったようだ。 そして、和サンはそれにほんの少しショックを受けてしまったオレを慰めてくれた。あの頃から和サンは、オレを支えるキャッチャーとして、尽くしてくれていたのだ。 「まあ悪く言えばそういうニュアンスもあるけどな、みんなどう接していいかわかんねェとこがあったんだよ。いきなり、二年でエースになった訳だしな」 「……そッスか」 「それに人に自分の弱いとことか見せんの嫌だろ?おまえ」 和サンは顎をさすりつつ、困ったなァというように溜息をついた。 オレは少しだけ居心地悪い気持ちになりながらも、小さく頷き返す。 「でもせめてオレには、……いや、みんなにも少しずつ見せてけよ。マウンドでお前は一人だけど、後ろにはみんながいるし。前にはオレがいる」 ――みんな、おまえのこと支えようと思ってるんだからな 「だから、躊躇ったり遠慮なんかするなよ。少なくとも、オレの前では絶対に」 みんなの期待に応えてやれよ、エース。和サンの大きな手のひらがオレの頭をぽんぽんと撫でた。 利央にするようなその仕草にオレは膨れたけれど、和サンにとってはオレもあのバカな利央も変わらない後輩なのだろう。それが少しだけくやしかった。かと言って大人ぶってみたところで、オレはこの人の前では背伸びをする小さな子どものようだった。 いつかこの人に信頼してもらえるような、ピッチャーになりたいとオレは強く思った。 あの日から今でもずっと
誰よりも認めてほしい、特別に思われるほどになりたくて。 △menu |