お互いに野球を何よりも優先するタイプだから、たまにしか会うことができないのだ。 だからこそ、こうして会えた時には思う存分、あんなことやこんなことをしちゃったりして(主に榛名が三橋に)、足りない分を補給したいと思うのは恋人として当たり前の感情だ。 誰かに痛切にそんな思いを訴えたい、のどかな休日の昼下がり.....。 自分の家に呼ぶよりも、三橋の家の方がいろいろと事に及びやすいということもあって、もっぱら榛名が三橋の家を訪れるようになってはや数ヶ月。だが、部活で忙しい身の上も同じなら、うっかりしていると会えない期間はすぐに一週間二週間となってしまう。今日も今日とて少々欲求不満気味な榛名は、会えたことだけでほとんど満足してしまっているらしい恋人(と呼ぶには些かちぐはぐな関係だが)との心理的ギャップを痛切に感じて、嘆息していた。 (さっきから何回タカヤって言ったっけ、こいつ) 正確には、「阿部君が、」ということなのだが……。数えるだけ空しくなってやめることにした。 三橋はさっきから最近の部活でのことを、榛名にたどたどしくも一生懸命話していた。 なぜならそれは榛名が、「最近どうしてた?」とまず先に尋ねたからだ。けれど最初はにこやかに聞いていた榛名も、その話題の中心がもっぱら阿部とのことに占められているとなると、大人気ないとは思いながらもイライラとした気持ちが胸の中で渦巻く。それを顔に出しては怯えさせてしまうので、できるだけ出さないように苦心して、気を紛らわせることにする。 「で、阿部君が俺に……」 「オッケ、オッケ、わかったから。なあ、廉。もうちょっとこっち来てみろ」 三橋は条件反射のようなもので、言われるがまま、榛名の青筋にも何かを企んでいるような笑顔にも気づくことなく、先ほどよりもう少し榛名の傍に寄る。と、榛名がぐいっと三橋の腕を(痛くないように気をつけながら)引っ張ると、逃げられないよう肩を抱くようにして体ごと引き寄せた。 真っ赤になって三橋は何かを喋ろうとするが、その反応を楽しんでいる様子の榛名はさらに密着するように体を寄せて三橋の耳元で低く囁いた。廉、とその名前を。 羞恥で顔を真っ赤に染めた三橋は身を捩るように体を離そうと足掻く。けれど、榛名は三橋を自由にする気などさらさらなく、さらに抱き寄せる腕に力を込めた。 大体榛名にとって、三橋の抵抗は想定済みだ。自分の思うように簡単に触れさせてもらえないのはいつものことで、本人にそのつもりがなくとも、それがかえって榛名を焦らして煽る結果となっていることは、わざわざ三橋に教えてやろうとは思わない。 教えたらきっと泣くから(恥ずかしくて)。 教えない方がずっと面白いから(かわいくて)。 榛名は三橋といるといつも相反した感情に襲われる。 もっともっと泣かせてみたい。いじめてやりたい。嫌がることをしてでも傷つけてでも。 だけどそれと同じくらい、泣かせたくなくて笑顔でいてほしくて、大事にしたい。大切に……。 自分でも制御できないような思いに、榛名自身が我を見失いそうになることすらあった。 まるで自分にとって、三橋はガラス細工のようなものだとふと思ったことがある。 あれをはじめて手にしたときの気持ちによく似ているのだ。扱いは優しく、慎重にしなければならない。それと同時に、自分が一歩間違えたら壊してしまうというスリル。 それが自分次第なのだということに、幼い頃奇妙な興奮を抱いたことを思い出す。 大切なものほど大切にしたくて、それなのに壊してみたい。 人間とはどうしてこう厄介な感情を抱いてしまうのだろうか。 廉、と小さく名前を呼んでから唇を合わせた。 もうすでに何度もキスをしたことはあるのに、深いキスになると三橋は未だに戸惑いの混じった声を漏らす。硬直した体からゆっくりと力が抜けてきたところでもう一度。 久しぶりの感触に思わず止められないでいると、三橋がギブアップしてしまった。 早く慣れろと思いはするのだが、急いては事を仕損じるという言葉があるように、急いではならない。普段の榛名からは考えられないと秋丸あたりが目を丸くしそうなほど譲歩しているし、三橋のペースに合わせてやっている。まあそうする前に一度手加減なしに追い詰めて、本気で泣かれて、本気で三橋が死にかけてたのを見ているからだ。あれは失敗だったと深く反省したのである(たぶん)。 そんなこともあって、榛名としては今では精一杯自制を心がけている(つもりだ)。 ぐったりとした三橋は榛名によっかかるようにして、息を整えている。 榛名はその癖のある髪をすいてやりながら、意地悪いとわかっていながらもその口から自分が聞きたい言葉を言ってほしくて、わざと三橋が嫌がるような尋ね方をした。 「タカヤは、俺とおまえがこんなことすんのどう思ってんだろうな?」 「阿部君は…たぶん…、嬉しくない、と思いマス」 阿部とのことになると三橋の表情が見る間に曇る。仕向けておきながら、躊躇いがちに開かれた唇から漏れる言葉の端々に阿部への思いが滲み出ているのが気に食わない。だが、そこで嫉妬したところで仕方がないと榛名は自分に言い聞かせる(さっきは駄目だったが)。 阿部と自分、どっちを選ぶか?とは訊けない。 それはただいたずらに三橋を追い詰めるだけだからだ。 そしてその問いは、榛名が野球と三橋をどっちを選ぶかと訊かれるようなものだから。 でもこれから先、絶対にそう尋ねないかはさすがの榛名も自信がなかった。 「でも、おまえはやめねえよな?――廉」 「三橋のこと、追い詰めないでください」 「は?」 あの日、武蔵野近くに突然現れた元・後輩の阿部は榛名に向かって単刀直入にそう告げた。 何となく阿部の来訪の意図を理解した榛名は、わざとわかってないフリをして尋ねる。 「なあ、タカヤ。おまえがなんでそういうこと言う訳?」 ――三橋は俺にとって大事なピッチャーで、俺たちはバッテリーだからです。 てっきりそう答えるのだとばかり思っていた。 「おまえが来たこと廉は知ってんのかよ?」 レン、と呼んだことに反応したのか小さく肩が揺れる。 眉を顰めた阿部は、榛名から顔を背けたままで重たい口を開いた。 「三橋が、あんたのこと好きだって言うからですよ」 そうでないと誰が会うものか、まして口を訊くものか、とその睨みつける瞳が物語っている。 それだけ言うなり阿部は踵を返してその場に榛名一人残して立ち去って行った。 あの頃バッテリーとして一途な思いを持って接してきた阿部を、追い詰めたのは荒んでいた榛名自身で、そういう態度も仕方ないことだと三橋に出会った今なら思えた。 ったく、と榛名は自分と別れてから随分とひねたように見えたのに、相変わらず真っ直ぐなところは変わらない阿部の行動に頬を掻いた。壊したりしねえよ、と誰に聞こえる訳もなくひっそりと呟いた言葉は夕闇に吸い込まれて消えた。 「でも、おまえはやめねえよな?――廉」 三橋は目を伏せたままで、はい、と小さく頷く。 今はその答えを三橋から得られるだけで榛名の心は満たされていた。 もしもこれから先、自分が感情の暴走で三橋を追い詰めてしまうようなことしても、逃げないでほしかった。それが榛名のただのワガママであったとしても。いつの間にかこの腕のぬくもりを失うことは、榛名自身も気づかぬ内に、耐え難いほどのものになっていたのだ。 ぐいっと三橋を自分に向かせて、もう一度キスを仕掛けた。言葉で追い詰めるのはそろそろやめにして今度は別の形で、という榛名の意図に気づいたのか三橋が再び抵抗の動きを見せる……も、不意をつく形で榛名は三橋を組み敷いた。こうしてしまえば元から鍛え方が違う榛名に三橋が力で敵うはずもなく、満足に身動きすら取れない。「ちょっ、榛名さ、待っ、て」という三橋の焦った声による制止も榛名は意に介さず、首筋に顔を埋めた。 「なあ、俺のこと好きだよな?」 ゆっくりと顔を上げると、三橋がきょとんとした顔で榛名を見返していた。ぷっと思わずそのマヌケ面に吹き出すと、三橋も困ったような顔をしてふわりと笑う。問いかけに律儀に答えようと「好き」という形に動いた唇を、その動きごと奪うようにして荒々しく口付けた。唇を離すと榛名は額を三橋の額に当てて、にやりと口の端を上げて不敵に笑みを浮かべて言った。 「逃げんなよ……」 それは榛名からの戦線布告を意味していた。 三橋はどうしたものかと戸惑いながらも、榛名の瞳を真っ直ぐに見つめて告げる。 逃げないです、オレ。榛名さん、好きだから。 glasswork
(あいつは大事にできなかったけど、おまえのこと俺はホントに大切にしたいと思うよ) △menu |