『三橋見てるとさ、一番大事なのは野球が好きな気持ちなんだなって思うよ』

練習中に阿部に怒鳴られてる三橋に苦笑していたら、横で栄口がそんなことを言った。
すぐ泣くし、すぐキョどるし、すぐビビる、暗くて卑屈なうちのエース。

―――でもマウンドでは逃げない。

野球が好きだから、見えない所でみんな頑張ってる。三橋も、そしてそれは田島もだ。
知っていたはずななんだ。野球に対しては誰にも負けないくらい真摯であることを。
オレは、それなのにそんなことは見ようとしないで……。

(そりゃ、才能って言葉で片付けりゃ楽だよな……)

才能という言葉に逃げ道を見出そうとする自分がたまらなく情けなくて、
そんな現実からもオレは目を背けようとしていたのかもしれない。

自分のプライドを守るために、ちっぽけなそんなもののために。



白球は高く上がって夕日に照らされ、遠く草むらの影に見えなくなった。
よっしゃ、スリーベースヒット!と田島が嬉しそうに叫ぶ。一方黙り込んだままのオレ。

「何だよ花井、泣くほどくやしかったのかー?」
「……バカ、違えよ」

そうは言いつつも情けなくて泣きたくて、でもいっそのこといろんなものを全部ひっくるめてオレは笑ってしまいたかった。スゴイよ、田島。おまえって奴は――。
今ならそう素直に認められる気がした。

「あーっ!ボール!!」
「……あ、どこまで飛んでったっけ?」
「たぶん、向こうっぽい!」
「おまえな……」

ガサガサ ガサガサ ガサガサ ガサガサ   

仕方なく消えていったあたりに範囲を絞り、二人して草むらをかき分けて探す。だが、夕日は容赦ない早さで沈んでいくため、辺りはどんどん薄暗くなっていくばかりだった。
眩しいほどに赤い夕日、なのに世界は相反して影を色濃くしていく。

「なあ、おまえ本当にここら辺に落ちたんだろうな」
「だからオレの目はいいって言ってんじゃん」
「でも最後まで見てないんだろ」
「消えていった方はこっちだって」

ガサガサ ガサガサ ガサガサ ガサガサ  

何度目かの問いかけに、同じ答え。いい加減、見つからない白球に苛立ちが募る。
しまいには「オレはここにいる!」って存在感を示してくれよ!と、疲れた体に鞭打ってこっちだって探してやってるんだよ!と、意味のない八つ当たり気味の思考になってきた。
それでも見つからない。田島はと言えば、さっきからオレの後ろでふざけ半分に草を蹴って探すという大雑把なやり方をしている。正直こいつは自分のボールを真剣に探す気があるのかと疑問に思っていたオレは、「なぁ、さっきの続きだけど……」と不意に話掛けられ、ドキっとした。
さっき?と考えてから、行き着いた答えに思わず探していた手が止まる。

「おまえ聞いたじゃん?デカイ体ほしくないのかって」
「あぁ、おまえ、そういや答えなかったんだっけ……(怒った訳じゃ、なかったのか)」

「―――ほしいよ」

田島は今度はそうキッパリ言い切った。当たり前じゃんそんなの、と付け加えて。
オレはまだ振り向けずにいた。でもきっと田島もこっちを見てはいない。
なぜだろう。後ろを見た訳でもないのに、そんな気がした。

「ほしいけど、オレにはない。まあ成長期って言ったって、今更ぐぐーん!と花井くらいまで伸びるなんてたぶんありえねえし。それは言ったって仕方ねーじゃん」
「…………」
「でもさ、オレ思うんだよ。野球をするのに大事なのは、才能とか体格とか言う奴いるけど、一人で何でも出来たって面白くないしさー」

モモカンの言葉が脳裏に蘇る。
『田島君はホントに頼もしい四番だけど、彼一人じゃ点は取れない』
それからオレたちにこう訴えたんだ。
『点を取るには、あなたたちの力がいるの!』

「せっかく九人いるんだから、足りないところは補えばいーんだよ」

そうだ、誰もが認めるほど田島の野球センスは確かにすごい。オレとは違う。わかってる。
でもホームランが打てない田島は、一人じゃ点を取ることはできない。それもまた確かな事実だ。
だけど、それが野球だ――。一人の力じゃ勝てないのが、野球というゲームなんだ。

「だからさー、……おまえが帰してくれよな、オレのこと」

ポツリと呟かれたその言葉に、思わず我慢できないで振り返った。
田島は少し離れた位置でこっちを向いて立っていた。
ちょうど土手の影になってその表情はハッキリとわからない。
でも見えなくても、どんな顔してるかわかる。

二人に訪れた沈黙を破るように、電車が夕日を遮って鉄橋の上を轟音を立てて走り抜けていく。
長いようで、実際はほんの数十秒と満たない時間。
それなのに口を開くまでに、とてつもなく長い時間を要したように感じた。


『一点入れてくれる打者がいれば甲子園に行ける』


「……あぁ、オレがおまえを帰してやるよ」
「そしたら絶対勝てるぜ、オレら!」

さっきと打って変わって、いつもと同じ調子の田島の声だった。バカみたいに明るくて、目を離すとすぐにどっかに行ってしまうような田島が、いつもと変わらない笑顔を浮かべていた。
そうだな、と静かに頷き返す。さっきの言葉を反芻しながら。
ふと足先に何かが当たった感じがして屈み込むと、付近をくまなく手探りしてみた。
そしてようやく、草に埋もれていたそれを掴みあげた。

「……あった」
「ほら、やっぱオレの目いいって言ったじゃん!」
「……わかってたよ」

(――そう、わかってたんだホントは)



「オレは甲子園に行くよ」

帰り道の別れ際、唐突に田島がそれを宣言した。
自分に自信があるとかいうよりも、確信に近い何かがあって口にしているようだった。まるで予言だ。まだ今は、これから長い長い予選が始まろうとしている頃だと言うのに。
でも不思議と、バカじゃねえのと笑い飛ばせない雰囲気があった。
こういう時の田島の言葉は疑うよりも信じたくなる。

「みんなで行こうぜ」
「おう」

ニカっと笑いかけてくる田島に、オレはそう短く答えるだけで精一杯だった。
ただ、グッと力を入れて拳を握り込んだ。

(……くやしい。どうしてコイツは、こんなに自分の気持ちに真っ直ぐでいられるんだろう)

でも、このくやしさがオレを強くする。そして、田島に近づけてくれるとオレは知っている。
去っていくその後ろ姿をもう一度振り返って見た。自分でも不思議なことに笑みを浮かべていた。
どうしても羨ましく思ってしまう。それは野球とは関係ないところで、田島だから仕方ないってことなのかもしれない。強張っていた笑みはいつの間にか余分な力の抜けたいつもの顔に戻っていた。

オレはオレ、田島は田島なんだ。
自分にしか出来ないことをオレはするだけなのだ。

(オレは試合であいつの期待に応えたい……)



オレはきっと田島をホームに帰してやる。
点を取って、オレ達は甲子園に行くんだ絶対―――。







夕暮れセンチメンタリズム

負けることはくやしい。それは認めている相手だからこその感情。


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