普段一緒にいると全然そんな風には思わない。
それなのにグラウンドで、バッターボックスで、驚くほど真剣なその瞳に心を揺さぶられる。
そういう時ゾクリと背筋を走るものがある。足が震えそうになる。

「オレはどんな球でも打つよ!」

おまえはどうして迷いのない瞳でそんなことが言えるんだよ。
オレはおまえみたいにすごかねえ。
はなっから次元が違うんだよ。

(これが才能の差ってやつなのか?)



何ら変わらないメニューをこなしていた、いつもの練習中。
次の巣山と交代する形でバッターボックスから戻ると、微妙に表情を固くした栄口が立っていた。
躊躇いがちに声を掛けられ、面倒くさげに視線を向けた。だが、逡巡した様子で口ごもる。待っていると、覚悟を決めたのかオレのことをしっかりと見据えて口を開いた。

「花井さ、……何か微妙に荒くない?最近カウント早いとこから打ってるし」
「……あ、そうだったか」
「いつも花井って辛抱強くボール見るじゃん。だからかな?」

図星だったから思わず顔を背けると、ちょうどモモカンと目が合った。どことなく渋い顔をして見えるのは、気のせいではないのかもしれない。ここのところ目に見えてオレは不調に陥っているのだから。
誰も何もまだ直接的には言ってこないし、口に出して言ったことはないが思い当たる原因はある。
その原因はと言うと、派手なフライを飛ばして地団駄踏んでいた。

「あー、ちくしょー!やられたーっ!!」

次は打つぞ!と言った宣言通り、今度はツーベース並みのヒットを打ちやがった。
やりっ!とニヤりと笑って悠々と塁を踏む。
阿部は悔しげな顔をしているが、どことなく仕方ないといった雰囲気があった。
そう、仕方ない。

――そう思わせるバッターなのだ、田島は。



部長としての用事で生徒会室に寄る羽目になって、意外に時間を食われた。今日は諸事情で練習が早く打ち切られたので、まだ空が明るい。みんなはもう帰ってしまった後だったので一人だった。

「あ、花井だ!今から帰んの?」

不意に名前を呼ばれ、ビクっと体が過剰反応する。誰なのかわかっていながらも、つい癖のようなもので恐る恐る振り返ると、人気のない道路でバットを持って突っ立っている田島がいた。
そう言えば田島の家があるのはこっち方面だっけ?と考えを巡らせる。
なるほど、だからもう私服に着替えてこんなところにいるのか。
だけど……と、ふと疑問に思ったことを尋ねた。

「おまえ、何してんだ?」
「何って、素振りの練習に決まってんじゃん」

何で当たり前のことを聞くんだと言わんばかりの田島の呆れ顔を前にして、オレは言葉に詰まった。
見れば確かにその手にはバットが握られていた。ご時世がご時世だけに、巡回中の警察官に補導されやしないだろうかとバカな心配をしてみる。いや、この人畜無害そうな顔で無邪気に笑われたら、
「お、坊主頑張ってるな」とアッサリ通り過ぎてしまうものなんだろうか。
――お、精が出るな。頑張ってくれよ、おまえはうちの頼れる四番なんだから。
そう言い残してすぐにこの場を去る予定だったのが、田島の思いつきによって阻止された。

「そうだ、よし!これから付き合え!」
「え、おい!田島!?」

強引にオレからカバンを奪うなり、田島は傍にあった自分の自転車に乗せ、そのまま走り出してしまう。慌てて追いかけるが、ただでさえハードな練習の後にこのランニングは本気できつい。体が悲鳴をあげているのがわかる。目的地であったらしい川原についた頃にはすっかり息が上がっていた。
田島はと言えば、涼しい顔で「何バテてんだよー」と笑っている。おまえは楽だったろうが!と怒鳴ってやりたかったが、それすら億劫で、ドサッと座り込んだ。

「……お、おまえいつも素振り練習やってんの?」
「やってるよー」
「ふーん」
「…っ!花井もっ、やってんだろっ!…ふっ!」
「あぁ、そりゃやってるけど」

何となく意外に思ってしまったのだ。なぜだろう、普通どんな選手だって家に帰っても筋トレをしたり、努力をするものだ。それすらしない人間は、例え力があってもなかなか力がのびない。
そんなこと当たり前だ。だから誰もが自分に見合った努力をして、結果を残すことが出来るように、しんどい練習がある日も頑張るものなのだ。とオレは思っている。
だけど、無意識の内に、田島はそういう努力とはどこか無縁の人間のように思っていたのだろうか。

(なんでだ?才能があるから?野球センスが抜群だから?――田島、だから?)

そこで何かに引っ掛かった気がして考えかけたところを、その田島の声に引き戻された。
オレは綺麗で力強い素振りに目を奪われつつ、何か言おうとして結局口を噤んだ。

「花井ってば、最近調子悪くない?」
「知ってる」

(それがどうしてなのかも……嫌になるほどわかってる)

「だったら早く調子戻してくれよ、試合に負けちゃうじゃん」
「――おまえがいるだろ」

そうだ、田島がいる。田島がいれば必ず塁に出てくれる。
そしたら誰かが、田島を帰してくれるはずだ。……オレでなくても、だ。
ふと気がつけば、田島が何か言いたげな顔をしてこっちを見ていた。何が言いたいんだろう。
そうやって真っ直ぐに見つめられると、オレの中にどこか後ろめたい気持ちがあるのか、無言のうちに責められている気がした。耐えられずに顔を背けてしまう。
おまえ、どうしたんだよ……と田島の目が訴えているように見えたのだ。
沈黙が流れ、川のせせらぎだけが耳に気持ちよく響いている。
田島が何か言おうとする気配を察して、その言葉を遮るようにオレが先に口を開いた。

「――前にモモカンが言ってたんだ。おまえに足りないものは……、大きな体だって」
「…………」
「おまえ、自分がホームラン打てないってわかってんだろ?」

田島が再び素振りを始めようとして、その動きを止めた。
オレはすでに後悔していた。自分でもどうしてこんなことを口にしたのかわからない。
ただ自分ではどうしようもないくらい抗いがたい誘惑と、抑えきれない感情のからだった。

(田島が傷つけばいい。田島のせいでオレはこんな風になってしまったんだ……)

自分の厭らしさを目の当たりにして、皮肉げに口元が歪む。
我ながら最低だなと思いながらも、言葉が口をついて出てくるのを止められなかった。


「デカイ体がほしいって思ったりしねえのかよ?」


問いかけに答えずに、田島はそのままオレの側を通り過ぎた。
そして、とめていた自転車のカゴから自分が持ってきたボールとグローブを取り出した。座ったままでいるオレに向かって放り投げてきたのを、わわっと驚きながらどうにか受け取る。
どういうつもりなんだ?と首を傾げたくなったが、そのまま移動した田島は一歩ずつ計るように歩くと、約18歩目くらいで立ち止まってこっちを振り向いた。

「来いよ、花井。直球ど真ん中」
「おまえなぁ……、いきなり何始めんだよ」
「いいから投げろよ」

田島はバットを構えて素振りをする。
何でかわからないがやる気満々で、オレの意見を聞く気は毛頭ないらしい。

「打てなかったらどうすんだよ!(キャッチャーいないと後ろにトンネルじゃん……)」
「オレはどんな球でも打てるよ。―――だから、打つ!」

先ほどと打って変わって、驚くほど真剣な田島の瞳に思わず息を呑む。
ゴクリと唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえた気がした。

「……本気かよ」
「当たり前!」
「日が暮れてきたし、球見えないんじゃねえの」
「オレ、目はいいから大丈夫!」
「―そうだったな」

半分投げやりな返事にも田島は意に介すことなく、まだ構えを解かない。
それだけで本気なんだと伝わってきた。乾いた笑みが自然と口元に浮かんだ。
ここはもう腹を括って相手にするしかなさそうだと無理矢理自分を納得させる。田島がどうしてこんなことを言い出したのかは、オレにはまだ何もわからないままだった。

(でも、ホント何でこんなことしてんだろ?何がしたいんだよ、あいつ……)

本気になった(たぶん)田島を相手にするのは、ピッチャーとしてはじめてだ。
ピリピリとした空気が流れる。要求は直球ど真ん中だった。そのまま投げたらいい。
三橋ほどコントロールに自信がある訳ではないが、大体ならオレでも十分出来るはず。
これは遊びだ。田島が言い出した遊びなのだから。

(……くそ、なのにどうしてこう力が入っちまうんだよオレ)

構えてからかなり時間が経つ。田島はこっちを見据えて身動ぎすらしない。集中している。
きっと今は試合の時と同じように、ピッチャーと投げたボールしか見えない状態だ。
深く息を吸い込んで、それから吐いた。こんなことで本気になろうとしてる自分がおかしい。
笑いそうになるが、不思議と笑みは浮かばなかった。代わりに唇を固く引き結ぶ。

(投げるなら本気で投げる。打たれたくは、……ないっ!!)

オレの手を放れたボールは吸い込まれるように田島が構えたところにいった。
直球ど真ん中、とはいかないまでもストライクゾーンには確実に入っている。スピードもいきなり投げたにしては十分なものだ。ただ、相手が相手だった。

(…………あ)

投げた途端に嫌な予感がした。田島がバットを勢いよくスイングする。
カキーン!という気持ちのいい音を響かせて、白球は綺麗な放物線を描いてオレの視界から消えた。



田島を目にしていると嫌でもそのセンスに脱帽させられる。
張り合うことで実力の差にくやしさや空しさが増したとしても、それでもいつか追いつきたいと願う自分がいる。それと同時に、どうしたって敵わないと思う自分もいる。

田島にあってオレにないもの。
オレにあって田島にないもの。

神様はイジワルだ。ないものねだりだとわかっていても、それでも恨まずにはいられないときがある。田島にオレのような体があったなら、きっと今よりすごい選手になっていたはずだ。
オレには体はあっても、田島ほどのセンスはない。
努力は才能に打ち勝てるのだろうか。
才能ある者が精一杯の努力をするなら、才能のない者はどれほど努力をすればいいのだろう。


そんな問いに誰が答えてくれるのだろうか?





→後編



夕暮れセンチメンタリズム